中性子捕捉療法の背景

中性子の発見

 中性子は1932年、英国ケンブリッジ大学のJamesChadwick教授によって発見されました。その前年にはフランスのJoliot-Curie夫妻が、パラフィンに陽子を照射すると極めて透過力の大きい未知の放射線が放出されるという、事実上の発見に等しい現象を捉えていましたが、解釈を誤って中性子発見の栄誉を失ったのは有名なエピソードです。

世界で最初の臨床研究(米国)

 がん治療への応用にはフルエンス率の高い中性子場が不可欠です。そのため、原子炉の出現が待たれました。最初に試みられたのは、米国のブルックヘブン国立研究所(BNL)やマサチューセッツ工科大学(MIT)の原子炉においてです。1951年から10年間、L.E. Farr教授やW.H. Sweet教授らにより悪性脳腫瘍を対象として試みられましたが、治療結果は平均生存期間が6ヶ月にも満たないという惨憺たるものでした。その主たる理由は、ホウ素化合物が脳腫瘍への選択的集積性に乏しかったこと、および、中性子ビームの品質不良とされ、やむなく中断。そして、以後の特に臨床研究はわが国へ引き継がれることとなりました。

BSHの登場

 1950年代末、基礎研究として小動物を用いた照射実験が旧日本原子力研究所の原研1 号炉(JRR-1)や日立炉(HTR)で始まりました。1968年には畠中亘らが新たなホウ素化合物を用い、悪性脳腫瘍患者のBNCTを始めました。このホウ素化合物は、20面体の特異な構造を持つホウ素クラスター disodium mercaptoundecahydrododecaborate (Na2 B12 H11SH、通称BSH)です。中性子源としてはHTRと医療用に改造された武蔵工大炉(MuITR)が用いられ、1974年には、京大炉(KUR)の重水設備の高純度の熱中性子照射場も治療に用いられました。熱中性子ビームは深部への到達性に制約があったため、照射は開頭手術下に行われました(術中照射)。BSHは1分子に12個の10B原子を持ち10Bの輸送性に優れ、かつ水溶性が高く用いやすい化合物です。正常脳では血液脳関門によって脳組織への浸透が阻止される一方、関門機能が破綻している悪性脳腫瘍の組織には浸透し、滞留することによって大きな濃度差を生じます。ただ、がんの細胞に積極的に取り込まれる性質はありません。畠中が得た結果は良好で、有効性を示唆していたものの、脳外科医や放射線腫瘍医を十分に納得させるには至りませんでした。

BSH

 BSHは1分子の中に12個のホウ素元素を持つ水溶性イオン性分子で、中性子との反応効率が高く、脳関門を通過することから、当初は脳腫瘍に用いられました。BSHのがん選択性(T/N比)や細胞内集積性は低いものの、がん細胞周辺に分布することが報告されています。

BNCTの新たな発展の契機となったBPA

 三嶋豊(当時神戸大学皮膚科学教授)はX線抵抗性の皮膚がんである悪性黒色腫をBNCTで治療するべく長年にわたって研究を行ってきましたが、メラニン色素の前駆体であるチロシンの類似体としてのL-paraBoronophenylalanine (L-BPA、以後BPA)に着目し、悪性黒色腫に特異的なBNCT 用ホウ素化合物として、臨床応用に向けた基礎研究を進めました。その結果、悪性黒色腫細胞と正常細胞での取り込みには大きな差がありました。その後の研究で、悪性黒色腫だけでなく多岐にわたるがんに取り込まれることが分かりました。これはがん細胞で亢進しているアミノ酸輸送に因ると考えられ、今日では多くのがんに対するBNCTで効果が研究されています。BPAが世界で最初に臨床使用されたのは、三島らが行った1987年の悪性黒色腫患者のBNCTにおいてでした。なお、東北大グループと三島らは共同でBPAの18F標識法を開発し、F-BPA PETのBNCTへの応用への途を拓きました。また、悪性脳腫瘍のBNCTにおいては、米国のブルックヘブン国立研究所に先行すること約7ヶ月、1994年2月に京都府立医大と京大炉グループとの共同による悪性神経膠腫の再発患者に対するBNCTにおいて、BPA およびF-BPA PET が使われました。がん細胞が選択性をもって取り込む点でBPAはBSHと大きく異なっており、BPAの登場によって、BNCTは初めてがん細胞選択的治療と呼ぶに相応しいものとなったのです。

L-BPA

 L-BPAは、メラニン生合成の出発物質であるL-フェニルアラニンに類似することから、当初、メラノーマのBNCTに用いられましたが、その後、他のがんにも優れた集積性を示すことが分かり、現在では脳腫瘍や頭頸部がんのBNCTに用いられています。また、BPAは高い疎水性を示し、中性条件下では殆ど水に溶けないため、D-フルクトースなどの水溶性物質との間で水溶性の複合体を調製し、ホウ素薬剤として用います。